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事件は他殺のみに限らない ~メンヘラ刑事~

salmonです。
最近、自分のストレス発散方法が衝動買いにあるようだと
気づき、購入量が増えている現実が恐ろしく感じています。

さて、今回はそんな衝動買いから『メンヘラ刑事』を紹介します。

メンヘラ刑事

これはマンガ版です。
2014年スマホ小説大賞、エンタメ文芸部門受賞作で、
小説版はDiscover21から発売されています(なんと……)

刑事ものは、ドラマでも定番中の定番ですが、
なんといいますか、変わり者のキャラが登場するのは
最近特に多いように思いますね。


また、ネット発だから当たり前といえば当たり前ですが、
「メンヘラ」というネット用語がこうもデカデカと出ていることに
ちょっとびっくりした感覚があります。


ただ、今回僕がこの作品にひかれたのはキャラクター性では
ないのですよ。

実は最近になって、ちょっとミステリーにハマりつつあるのですが、
ミステリーの王道は、殺人事件を扱うものですね。
(もちろん、厳密に言えば違いますが……)


ということは、そのトリックと犯人を捜し当てることが
視聴者(読者)の見方(読み方)の中心になるわけです。
犯人がいて、何かしらの動機があって、事件が起きてしまうと。


でも、なんかそういうのに食傷気味なところがあったんですよねぇ……

ところが、本作が扱う事件は「自殺」
多くの作品が「他殺」を扱うため、事件が発生すると「他殺」だと
思いこんで作品を読み進めてしまう。
あるいは、早い段階でキャラクターが「いや、これは事故じゃない……立派な殺人だ!」とか
言って、「他殺」だと断定してしまうのですね。

そのスタートから違っており、むしろなぜ、自ら命を絶つことに
なってしまったのかというところを推理することになります。


ある意味、当たり前とかお約束のようになってしまったところから
切り崩していく、そういうの面白いですよね。
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記憶は身体に宿るのか ~プラスティック・メモリーズ~


「記憶」って、どこに宿るのでしょう。
そんな言い方をすると、すごくペライ哲学もどきみたいな感じがしますね。


でも、そんなことをふと思ったのは「プラスティック・メモリーズ」があったからですよ。

プラメモ


世界観は、ギフティアと呼ばれるアンドロイドが実用化された世界。
ギフティアはそれぞれ人格があり、人間と同じように生活をしています。
しかし、ギフティアには耐久年数があり、耐久年数を超えるとギフティアは暴走してしまう。

主人公のツカサは、耐久年数が近くなったギフティアを回収する会社に勤めており、
人間と共に生活しているギフティアに別れを告げるわけです。


人間をはじめ、生き物には寿命がある。
でも、それぞれの固体が何年生きられるのかはわからない。

一方、ギフティアはどんなものであれ、耐久年数という時間があるんですね。

だからこそ、限られた時間の中でどのように生きるのかが描ける。


さらに、この作品のすごいところは、回収されたギフティアは、
回収された後、新しい人格が組み込まれ、新しい「人」として生きる
のです。

これがとても考えさせるところで、
外見は全く同じでも、違う「人」なんですな。


これがまた憎い設定で、たしかにギフティアというアンドロイドを「合理的」に
運用しようというのであれば、たしかにその身体は再利用するでしょう。

しかし、ヒトは同じ外見で別の「人」として出会うとなると、
やはり以前の「人」としての「記憶」が強く残るはず。


所謂、記憶喪失ものとは違い、人格は確実に戻らない。


この葛藤が起こりうる世界なんですよね。

それは、高い頻度で起こりうるものではないのでしょうし、
「別の人」だと分かって、長く共に過ごしている人々もいる。
(つまり、回収時に同じ身体で別の人格を入れ、「更新」を繰り返す人々)


ある意味、プラメモの世界は、人の別れがより身近になった世界です。
そして、思わぬ再会があるやもしれない世界。

実はいまよりも残酷な世界なのかもしれませんね。

それぞれのエンドがある作品 ~ガンスリンガー ストラトス~

アニメを見る手段はテレビだけではありません。
いまやスマホやタブレットでみる人も少なくない。

私が通勤している満員電車のなかでも、スマホでアニメやドラマをみている人に出会います。

そうなると、WEBのみで公開する作品も出てくるわけですね。

そして、前期ではテレビ版とWEB版で異なるストーリーを同時展開するという試みがなされました。
それが『ガンスリンガー ストラトス』です。


細かいところに違いがあり、最終話のエンドがまったく違うものになるという本作。
なんだか、ギャルゲー、ラノベゲーをしているみたいです。


たしかに、媒体によって違うストーリー展開をするというのは新しい試みで、
それじたいは面白いと思います。

そもそも、同じストーリー軸で別の展開をするというのは、「ハルヒ」の伝説となった
エンドレスエイト」が有名です。
ある意味、リメイクされた「Fate/stay night UBW」もそうなのでしょう。

が、それほど衝撃はなかった。


違うことじたいが隠されていたから知らなかった人も多かったでしょう。
ただ、それだけではなくて、単純に2回見るというのは如何せん、面倒くさい。
仕掛けは面白いのかもしれないけれども、いろいろ不発だった気がします。


そもそも、いまは数多くのアニメ作品であふれてる。
いろんなものを「消費」して見ているわけだから、一つの作品をがっつりと見る人は
少ないでしょうな。


それに、個人的にですが、複数エンドはいいとしても、
その場合はトゥルーエンド、真エンドがあってほしいと思っています。
つまり、その作品全体としての終わりがないと、まとまらない気がするのですね。

ガンスリンガー ストラトス」は、いわばテレビ版とWEB版で
それぞれの世界の風澄徹エンドを描いたといっていいでしょう。

でも、完全に切り離された2つの世界で、それぞれのエンドを向かえたのはいいとしても、
全体としてのエンドが見えなかった。


その点、「Fate/stay night UBW」は、
オリジナルの最終話も加わり、「UBW」としての物語がきちんと完結していました。


また、WEB版のエンディングは、すごく抵抗感のあるものでした。
荒廃した世界で、多くの人々が生き残るために、いわば強権的に徹が政治を行う。

たしかに、政治が機能していない世界ですから、統制をとるのは必要だったのかもしれない。
けど、作り上げた世界は風澄徹個人が力でつくったものであり、それって継続するものなのか、
良い方向に世界が変わったのかわからない。
(映像上では、食料自給率や死亡率といった数字でしか変化は語られていません)


まぁ、そこは物語の主軸ではないのでわざわざ描く必要はないのでしょうが、
何があっても力づくで進んでいくということは、こういうことなのでしょう。


そんなこんなで、私としてはちょっと残念な作品だったかなという気がします。

リビルドされた長門 ~長門有希ちゃんの消失~

今日はどこまで書ききれるのか。

次に取り上げますのは、『長門有希ちゃんの消失』です。

「涼宮ハルヒ」シリーズの公式パロディ作。
消失編の世界観をベースに作品がつくられています。

何がアレって、ハルヒのキャスティングでアニメをみれるときが再び来るとは
思ってなかったということですよ。

「ハルヒ」じたいは、セカイ系の代表作として大きな影響を与えた作品ですが、
『長門有希ちゃんの消失』は、どちらかというと日常系に近い感じですね。


また、本作と原作(『涼宮ハルヒの憂鬱』)を比較して、松澤さんは
これは実に長門有希ではなく長門有希ちゃんという感じだわ」と述べてました。

(でも、こちらの「消失編」では、一時的に「長門有希」も帰ってきます!)


そもそも、「ハルヒ」という作品が世間に大きな影響を与えたわけですが、
「長門有希」というキャラクターじたいも、「綾波レイ」系のキャラとして注目されていたのですよね。


そのキャラクターが崩されて「長門有希ちゃん」としてリビルドされた作品ですから、
やっぱりパロディであり、別物と感じさせるのです。


どちらが良くて、どちらが悪いというわけではありませんよ。
ただ、『長門有希ちゃんの消失』という日常系の作品をみると、
改めて『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品が特異なものであったのだなと
感じることができるのではないでしょうか。

仕事と人付き合いに奔走する現代人 ~SHIROBAKO~

salmonです。
全然、ブログは更新してないし、twitterもあまりつぶやかなくなりましたが、
アニメやマンガは見ています。

さて、最近「SHIROBAKO」のラインスタンプが発売されましたね。
SHIROBAKO line


本作は、P.A.WORKSのお仕事アニメ。
何かと話題になるアニメ業界を舞台に、おいちゃんたちが走り回ります。

SHIROBAKO

総集編はもういやだ」というサブタイトルや、
万策尽きたー!!」や「変な話ぃ~」といった台詞、
キャスティング会議のゴリ押し、など
放送中はいろいろと話題になっていました。


業界人からは、現実はもっと大変だというコメントが寄せられていましたが、
まぁそれは……ね。


個人的には、この作品にだいぶのめり込んだと思います。

自分も仕事をしているわけですが、どんな業界、どんな仕事をしていても、
やっぱり大変なものは大変なんですよね。
いつも頭を抱えるし、悩みは尽きない。

そんなときに、おいちゃんが頑張ってる姿をみると、「自分もがんばらなきゃ!」と
思えるんです。

だから、最終回とその後公開されたエンドロールはどちらも号泣でした。


「SHIROBAKO」をみていると、一つの作品ができるのに、これだけの人が関わってできているんだなと
実感させられます。
それは、アニメーションに限らず、私がよく読む本にしても同じ。


いろんな人の技術や工夫が合わさってできているんですよね。
だからこそ、人使いに奔走されてしまうこともあるわけです。


まぁ、そうやってわかっていても、現実は大変なんですけどね。


プロフィール

salmon

Author:salmon
小説、アニメ、ゲーム何でも大好き。
スポーツもするし、働いてもいますよ。
思ったことを書きたいときに書く、そんな人です。

【twitter】 @ikurahatamago

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